blog and news

28Dec2015

drone photo

CSEAS2015

Kyoto University CSEAS 50th Anniversary cover – I walked around the area but couldn’t find a “wow” view (e.g. from Kamo River, you can’t really see the buildings). So they offered me a private helicopter ride!…no, they took drone photo, around 40m high on kamo river bank (thank you M-san!). It’s my first time to know anyone who can operate the drone!

京都大学東南アジア研究所50周年英文誌の表紙を描かせて頂きました。当初、なかなか「おお」という角度がなく困っていました。昔の「網走刑務所」撮影に使われた女工哀史的レンガ工場の建物も今は稲盛記念館の高さに埋もれて見えなくなってしまっているし、といってそれが見えた頃を書いても「50周年」には見えないし…

(「おお」な風景・角度と言えば、「私はリンゴひとつでパリを驚かせたい」(画力で勝負したい)と言ったらしいセザンヌの逆で「どう描くかではなく何を描くか勝負」←おいおい巨匠と並べるな?)

と思っていたらなんと、撮影用ヘリを飛ばして貰いました!
というのは嘘です。
この表紙を描く資料用にドローンを飛ばして貰いました!
ええそんなに手軽にドローンって飛ばしていいんですかと二度聞き(だってちょっと前、首相官邸屋上にドローンが落ちてて問題になってましたよね)。

雨や曇り続きで、もうちょっと大文字見える感じでとやり直しもして頂いて、というわけで、絵よりも「絵のための資料」に手間暇コストのかかった一枚です。

ドローンで撮れる写真は水平線が丸く歪んでいて、上空40m超からなので当たり前ですが「建物の上階が地上階よりかなり大きく見える」のを、そのまま描くのもな…と、定規で線をたくさん引いて電卓をたたいてそれから脳内修正(?)して描きました(なので実際にこう見えることは無いです)。

一部送って頂いて「やっぱり紙媒介はいいなぁ」などと表紙を愛で、その後ぺらぺらページをめくり…と言いたいところですが、なまじっか研究職挫折者(しかも東南アジア研究)なのでこういうのを開こうとすると胸が痛み自己否定スパイラルに入るかもしれないので、やめておきました。

同時に思わぬ自分の変化(退化)に気づいてしまった!それは、表紙の英語ですら「意識して、頑張って、読まないと」分からない…ということです(このブログの最初に一行~数行英文を書いているのも実は相当「やるか!」と気合い入れてエンジンかけてからです)。

海外に住んでいた折、セブアノ語や仏語、広東語などに比べると「比較的」簡単なので、英字新聞や英語の映画などを見つけると大喜びでした。だから、「私は英語が得意なんだ」と勘違いしておりました。

が、日本で暮らしていると「仏語(または広東語)と英語」みたいなとは次元が違う「母語と外国語」の比較。もちろん「日本語>>>(×100)英語」なガラパゴスな自分です。「英語が得意」だったのではなくて、「セブアノ・仏・広東語が不得手だった」だけでした。

ちょっとは英語圏(ていってもカリフォルニアとかフィリピンとか香港とか、正統?!英語圏なのかどうかよく分かりませんが)にも住んだことあるし、英語の勉強は頑張って来たと思ってきたけれど、結局私にとっては外国語にすぎなかったんだな、まぁ人生の余裕で半分以上は日本に住んでた訳だし…

と思っていたら、たとえ30-50年英語圏とか仏語圏とかでネイティブと渡り合って仕事をして日本語を使わず生活して来たような人であっても、認知症などが入ってくると、だんだん櫛の歯が抜けるようにぽろぽろと「後から頑張って習得した外国語」は抜けていき、日常生活でそれほど使っていなかった幼少時の母語に戻っていったりもするんだよと聞きました。

(それでも、カリフォルニアとかハワイとか、日系のお年寄り人口が高く、日本語を話せる(またはある程度学習した)看護師さんとか介護士さんとかがいるエリアならいいんでしょう。あとは自分の身近な家族が日本語を話してくれたりすれば。)

10年位海外にいて、7年半住んだ香港では一応英語で仕事もしていたのに(本当は広東語かせめて北京語で働けるようになるべきだったのですが、怠惰でごめんなさい)、帰国してたった1年でこんなに英語力が落ちる(というかホント「ぽろぽろと抜けていく」)とは!

でももうここであえてチャレンジとか勉強とかする気もないので「これ以上アジアの我々が頑張って頑張って英語を勉強しても実はなんと(頭の体操とか原著で英文学が読めるとかいう意味以外ではあまり)得なんかしていない」と考えることにしました。

世界中の人が英語を話せるように努力をすることで得をしているのは、実は「モノリンガルのアングロフォン」の方々(だけ)ですよね。ネイティブだから絶対に「上」で「教える側」に立てます。

やはりこの際(←どの際?!)彼らに日本語でもタイ語でもアラビア語でも、「ひとつ外国語(の中でもアルファベット表記ではない言語)」を学んで頂きたいですね。
ついでにその言語を使う国(そして出来れば英語の通じない地方)に3年位住んで諸々の努力をして頂きます(←てアナタ何様?)。
そうしたら「自分たち以外の人」へのリスペクト度や多様性への許容度も上がり、諍いも減るはず!っていうのは大げさかな…

Your Comment