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15Dec2015

red leaves, kyoto-jin

20151212Sat (37)
Finally, red leaves (later than last autumun; it’s already winter).
I love spring and autumn in Japan!

ようやく紅葉、と思ったらもう師走です。去年の11月下旬に叡電に乗った時に、初めて「紅葉狩り」をする人の気持が分かり、今年も楽しみにしていたのですが、どうやら今年の紅葉はいまいちだそう(ぱっと鮮やかに色づくこともなくいつのまにか茶色)。でもやっぱり秋はいいですね。

ところで、遅ればせながら井上章一著『京都ぎらい』を読み始めました。宇治山科などは「京都」ではないし、そこで育った人は「京都人」ではない、というのはよく言われていましたが、嵯峨でもダメ、さらには(着物で有名な、私から見れば洛中の)西陣の人ですら、室町の人から見れば京都を語るのは図々しいとか…。

でも一方で、「そんな!」と悲しい気持ちになる洛外人ですら、洛中「中華」思想に侵されていて、自分より(洛中を中心とした)半径㎞の遠い所の人に対しては「京都人」になり、それは必ず「上」と感じてしまっているとか(例:著者は洛中人からすれば「京都人」ではないが、亀岡の人に対しては「京都人」)。

確かにそうかもしれません。10代の頃、教会の「京都教区中高生会」というのの合宿みたいなイベントなどに行くと、そこには京都・奈良・滋賀の若者がいるのですが、自然と京都出身者が「偉い」という雰囲気がありました。

もちろん「京都」の各教会(の立地条件)の中でも序列はあるのですが、滋賀出身の私に対しては、洛外(左京・右京・南京・西京・伏見・他の京都府下)出身者であっても「京都」を語っていました。

私は滋賀の中でもこの本の趣旨で言えば本当に「微妙」なポジションの(湖北や湖東の人以上に、電車で10分と近すぎるため「京都の後背地」コンプレックスが高い)大津出身なので、「洛外だけれど私に対しては京都」人の「京都ではな」「うちの学校ではな」という話を本当に興味深く、ありがたく拝聴していました。

そして振り返れば、彼ら彼女らが滋賀の学校や生活に興味を持ってくれたり聞いてくれたりしたことはなかったかも。私は「山城高校ってところはサッカーが有名なんだ」とか「ずっとノートルダムに通っているAちゃんはお嬢様なんだ」ということまで教会活動を通して知りましたが、「京都人」(?)の滋賀に対するコメントは「琵琶湖?」程度で、滋賀の中高なんて興味もありません…。

その後大人になって(車を運転できる年齢になって)会うと、「たまにな(滋賀も)行くで。日曜日『何もすることないし』琵琶湖らへんドライブでもいこかー、って」などと言われショックを受けました。

著書の中にあった「山科見合い」や「宇治プロレス」の話どころではなく、「滋賀作」(京都人が滋賀県民をバカにして言う名称)ですからショックを受けるのもおこがましいのかしらん。

そう言えば以前、私は普通に――滋賀弁でも京都弁でもなくニュートラルな関西弁(←なんだそれは)で――話していても、京都人(本当に洛中人)から前後の話の脈絡と関係なく突然「どこのご出身です?」と聞かれることがあります。

つまり、「京都人ぶってるのかもしれないけど、オミトオシですよ」ということ(これもまさにこの本に書いてありますが、京都弁らしきものをほぼネイティブに操っていたとしても、初対面の時にやんわりと釘をさされます)。

一度、「…大津で生まれ育ちましたが高校からは彦根です…」と言うと(白状すると)、「ああ、彦根。ええとこですねぇ」とおっしゃられ、どう答えたものか、ありがとうございますというべきかなどと思っていたら「私は行ったことありませんけど」。

こう書くとさらっとしていますが、文字には出来ない湿度と粘度がそこにはあり、そして哀しいかな一応関西人なので、その湿粘度を感じ取るくらいは出来てしまいます…

たまに京都の(非カフェ)喫茶店で、慇懃無礼に寒いことを店の人から言われていても、東京弁のお客さんなどは文面通り受け取って朗らかに対応しているのを見ます。

たとえば「すみませんが(混んで来たしアナタ長居しているし一人客なんだから)あちらの席へ…(移動してください)」と店員さんが(身振り手振りもなくせいぜい目線だけで)言ったとします。

京都弁では「文章を最後まで声にする」のを避けて「…」というノンバーバルコミュニケーションを強いるので、この「(移動してください)」が読めただけでもいいよね、と思ってはダメ。

これは「もう勘定して早く出て行って欲しい!」というメッセージだそうです。が、私が見た時その東京弁のお客さんは屈託なく「ああ、いいですよ~」と席を移動したので(にこやかに、どちらかというと「寛容な僕」的)、店員さんも店内の空気も軽くフリーズ。

以前はそういった状況にすらも「自分はあの店の人のメッセージが読み取れる」という点で、京都人に近いのだとちょっと優越感を感じたりしていたのですが(すみません。まさに井上先生のいう洛中「中華」思想に毒されていて)、最近は「うーん知らぬが仏じゃないけど非関西人観光客の方が楽しそうで羨ましい」と思ったりもします。

いやーこんなのは微細なエピソードで、私は美しい京都の建築風景に癒されて色々忘却していますが、この本を読んで、この25年の間に数えきれないほど、こまごまとそして要所要所、バーバルにノンバーバルに貶められて来たことがツマビラカになってしまいました。

でも、こんな私ですら、洛中人・洛外人に対してはもちろん関西人に対してはとてもとても、京都を語るなんてことはありませんが、非関西人・外国人に対しては「京都はね」なんてエラソーに言ってしまうことがあります(でも、よく考えたら、住んでるんだからそれくらい言えないのも不自然な気がする)。

ちなみに、東京人というのは三代住めばそう名乗ってもいいそうですが、京都は三代くらいじゃ「新参者」ですので(と昔、龍馬商店街の方々に聞きました。「うちの店はまだ120年くらいで新しいんですわ」とか)、洛中≒祇園祭の山鉾町に、えーと江戸時代中期以前から家を所有し続ける家族じゃないといけないんでしょうか。

もっとも、そんな人は全京都市人口のうちごく少数なはずで、それだけではあれほどの「京都本」も女性誌の「京都特集」も組めません。じゃぁ一体だれが「京都」を堂々と語れるかというと、洛中京都人、そこに嫁いだ人(つまり主に女性で、実家よりも嫁ぎ先の家の先祖に「自分」のアイデンティティを結び付けられる人)、厳密に住所的には洛中ではないが寺社華道茶道等家元などの「白足袋族」などではないでしょうか。

それに加え、私が知る狭い範囲だけの話なのですが、「京都で生まれたわけでは無いが、京都を語っても許される」のは、「学部・院・就職退職までずっと京大」という人のうちの一部かなと思います(ターゲットが関西外というか東京在住者であれば、麻生圭子みたいな「旦那さんが京大出身」で古い家屋で着物を着て京都を語る、というのもありなのかな…?)。

特に重要なのは「学部が京大」。井上先生も、もし大学(学部)が京大でなければ、本屋さんで『京都嫌い』を手に取った人への説得力が1%ほど落ちていたかも。

ちなみに私も一応京大を通りすぎましたが、学部は他大学なので京都はもちろん京大を語る資格はありません。というのは、実際数年以上そこで過ごしてみて分かったのが、学部が京大かどうか/または高校卒業後、多感なアラウンド20にどこにいたかというのは、実はそんなに軽く流していいことではないのかも、ということです。

(ついでに、研究科にもよりますが、確かそういう本も出ていたと思うけれど、大学院から旧帝大早稲田慶応、というのは、学部からよりずっと入りやすい。つまり私は「学歴ロンダ」組ということです。)

まだ『京都嫌い』は読み終わっていないのではっきりと何も言えませんが、大津出身の私の対京都コンプレックスを甚振られる本で、この先を読むのがちょっと怖いくらいです…ドキドキ。

今までのマイベスト京都本2冊は(ってまさにこの2冊しか読んでいないのですが、まるであたかも熱心な読書家が溢れかえる既読本の中から選んだかのような言い方)、鷲田清一『京都の平熱 ―哲学者の都市案内』と酒井順子『都と京』。

私みたいな「京都出身じゃない京都好き(でも単純に東京メディアの京都記事は読みたくないひねくれ系。後者は東京人著者ですが、その京都人の友人がソース)」の方がおられたら、おすすめです!

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2 comments

  1. kiyoko

    Jan 5, 2016

    コメントありがとうございます(投稿予約をした後,2週間間ほどネット環境に無くお返事遅れてすみません.遅すぎますが,メリークリスマス!).お~信者さんの方なのですね.母方が中国地方(萩)なのでますます勝手に親近感を覚えさせてもらいました.
    その後この本を読み終えて「よかった」と思ったこともあります.それは「なんだ,私に対して『京都』を語る『京都の人』の99.9%は実は『京都人』じゃないんだ」ということです(幕末以降は一応洛中に住所がある家系であっても,その前をたどれば『よそさん』だったりするのがほとんどで).
    または実は大津育ちの私が被害妄想なだけで,別にその『京都人』ではない『京都の人』たちは,京都の優位性などは全く意識せず「A市に住んでいる人がA市について語って」いただけなのかもしれません.

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  2. drnekomama

    Dec 24, 2015

    深くてコワい京都論。昔から「都会は『行く所』」と主張する私ですが、所詮田舎者の負け惜しみか・・・いや、勝負の土俵にも上がらせてもらえてないのかも(笑)。
    何はともあれ心地よいクリスマスをお過ごし下さい。深夜0時のミサへ行くような真面目さからも遠ざかり、ローストチキンとケーキに力を入れる私。このブログを拝見して「そう言えば『カトリック高校生中国ブロック大会』あったよなぁ・・・」と懐かしくなりました。

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