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7Jan2018

happy new year 2018

(old Otsu Civic Hall / Koumin-kan大津公民館, built in 1947 & Keihan Railway Ishisaka line)

Happy New Year! Hope this will be a peaceful and prosperous year.

新年あけましておめでとうございます。

平和でいい一年になりますように。

もう「新年の抱負」を掲げて、何か努力やガッツや(挫折の後に来る)達成感を自分に求めるのはやめて久しいのですが、「去年も一昨年も代り映えしなかったな。きっと今年も来年も」という事態は避けたいので、願望を込めて、「自分で転機を作っていく」一年にしたいと思います。

「頑張って頑張って少々つまづいて、最後はヤッター!でもとにかく疲れる」ような、ネオリベ的「成功も失敗も全ては自己責任」路線で、無駄に自己肯定感を下げる必要はもう無い気がする。「苦労は買ってでもしろ」というのは違う気がしてきた。

(良い)転機さえ迎えられれば、「勝手に(良い)波が自分を運んでいってくれるのに身を任せればいいわけです。

とまあなんだかスピリチュアルぽい書き方になってしまいましたが、シンプルに言うと、「自分が本当に楽しいと思う事を増やす」「なぜかどうしても気が向かないことには『でも、努力!』というキーワードを捨てる」ということです。

ハルキストではありませんが、時々「どこかで読んだ箇所」が急に浮かぶとすれば、なぜか最近は村上春樹(とこれまたなぜか、賛同しているわけでもないのに反フェミニストの林道義)の著書から、ということが多いです。

今浮かんだのは、「中高年で、外国語学習に時間を割くことは果たして自分にとって本当にいいことなのか」といったような(多分これは『やがて哀しき外国語』で、割と一所懸命ギリシャ語を勉強してみた後の村上春樹の)一文です。

(20年位前に読んだきりなのであまりに曖昧な記憶で、ファンの皆様ごめんなさい!)

一般的には、何歳になっても、直接金銭的利益を得られるわけではなくても(または利益を得られないからこそ高尚な意味合いが加わり)、語学をはじめ、勉学に励み努力を積み重ねることは「良いこと」とされています。でも、「自分」が「今すべきこと」かどうかは、自分にしか分からない。

(でも同時に怖いのが、「自分でも分からない」事態。または「自分では分かったつもりでいたが、どうやら違ったようだ」という展開もあり得ますが、決断した「今」という時点では「自分のために自分で決めたことは、唯一で絶対」「他の選択肢は無かった」はず…ですよね。)

香港の修士(MA)プログラムなどはリタイア組や社長級の人が大勢います。「今こそ、全く新しいことを勉強してみたい」という彼らを尊敬はしますが、今の私にはとても真似できません。60歳くらいになったら変わるのかしらん。

社会からみて「すごい」と評価を得られる分野で色々と頑張る人が正しい事だと信じて来たけれど(もちろんそれも人によっては全く間違いではないけれど)、四十路の自分はもっと他に/またはもっと集中してすることがある気がします。

これまた文章にすると「おいおい不惑の40にして自分探しのモラトリアム再来か!」とも読めますが、もうこの長いモラトリアムに終止符を打つべく、そして社会的評価を気にしないと言いながらも霞を食べて生きているわけではないので、どうにかしたいと思います。そこで、「転機」というわけです。

(Mount Fuji from Bunkyo Civin Centre, Tokyo

文京シビックセンターから見た富士山。

今年も年賀状はほぼ書けず…大野君ごめんなさい!)

 

中略(?)。

そしてついに振り込みました、ジャニーズFC!

楽しい一年になりますように。

 

 

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