rainbow
I saw rainbows twice in two weeks!
この2週間で2度も虹を見ました。一年に一度も見ないような気もするのに!
なんだか嬉しかったのは、珍しいものを見た、しかも美しかった、だけではなく(どちらも、空だけではなく道自体の見晴らしのよい、鴨川の橋の上から見えたのですが=橋を渡り始める時にはまだその先に虹が見えるとは分からない)、「前にいる人たちが立ち止まって何かを撮影している」と気づいてから私も虹に気づき、次は「私や私の付近の人たちが立ち止まって虹を撮る」のを見て後ろから来た(橋を渡り始めた)人がスマホ等を出して虹を撮る、という動きの流れ(伝播?)を見たからでした。電車内のあくびより低い伝播速度ながら、伝播率90%。
お互い一言も喋らないけれど、同じ感動を共有して伝えているとなるとなぜか嬉しい。
でも、「同じものが好き」でも「みんなで嬉しい」には必ずしもつながらないことが(私には)多い気がします。
「周りは嵐のファンばかり」と分かっている嵐のコンサートに行った時、初めてな上に一人参戦で、「本当のファンならここでこう」という反応が出来ず「ちょっとアンタ(じゃま)」的に見られた(気がした)。
この秋行った「法然展」ではずっと格上な仏教美術ファンに囲まれ、何?一点一点すごく長い時間かけてるけど、この大勢の老若男女は皆、この漢文古文読んでるの?読めるの?!と驚き、普通に歩いて見ていくだけな自分が情けなくなるあまり、無駄に読んでいるふりをしてみたり(←自意識過剰です)。
「かこさとし展」や「mofusand展」等に行った時も、私が「すごい」「かわいい」「初めて見た」等稚拙な感想を同行者に述べていると、必ず(少し怒り気味に)解説や訂正をしてくれる見ず知らずの本気ファンの方がいてくれて、「先生の生の絵が見られるのにアンタその程度の知識と情熱で来るなよ」と呆れてるんだろうなと考えてみたり。
考えたらこういう場は「皆、その対象が好き」なのに/好きだからこそ、そこはかとなく何か牽制しあっているような…まず、それがよく見える角度・ポジションを確保しなくてはならないところから、上品なふりをしながら他人の存在に勝たないといけない。混んでいる週末などに「お先にどうぞ」精神でいたら閉館時間になってしまう。
でも、虹に気づいて感動する、というのは、とてもシンプルに「分かる。きれいですよね。分かる?一緒!」という気持ち!予告もない上にすぐ消えるかもしれないと思うと、「撮れなくてもしょうがない」と諦めも入ってくるし、とても大きくて遠いところにあるので場所取りもいらず(レア臨時ダイヤ鉄道写真のように他人に打ち勝つ必要もなく)焦らない。
いいですね、虹。