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12Mar2016

5 years since 311

Five years has passed since the Tohoku earthquake, tsunami, and TEPCO nuclear powerplant disaster. Prayer for the victims, and 170,000 survivors still in temporary housing, and actual on-site workers at Fuku-ichi…
20130508KawauchiTamura (122)
(TEPCO Fukushima Nuclear Powerplant, seen from Kawauchi-village, 20130508)

東北大震災・津波・そして東京電力原子力発電所事故から5年が経ちました。私が何を書いても偽善者ぽくなるのですが…今日も何千人と言う方が作業員として原発で働いておられるおかげで自分の日々があるということを忘れないようにしたいと思います。

上の写真は2013年5月に、香港人の元同僚達と被災地を巡った時に、福島県双葉郡川内村(原発から20㎞)から撮った写真です。東北大出身で、私なんかよりもずっと東北の事を考えていて、震災後初めて東北を訪れた時に「号泣した」という同僚から「山口さんも行って見ないとダメだよ」と言われたものの、放射能怖いし…と実は怖気づいていました(今でももちろん怖い。よく言われていることですが、本当に本当に原発が安全なら東京湾・大阪湾に作れるはずでは…)。

なるべく息を吸わないで、なるべく現地の物は食べないようにしようと心に決めて家を出たものの、それは無理で、その時はそうするしかなかった。毎日「他にすることがない。家に戻って畑したいのに」と嘆かれているおばあさんが「仮設の庭で作ったおイモ、食べて」と言って出してくれたものを断るのは無理です。この方たちは(特にご老人)このふるさとに住み続けて、ここのものを食べ続けていくしかないのに…上手く書けませんが。

田村都路地区のおば様おばあ様方とお話したのですが、よく覚えているのが、「もう2年経ったから、東京のテレビとか見ると、みんな普通の生活に戻った風に見える。でも、私たちは仮設に住み続けて、不安な毎日のまま。日本の中で置いて行かれている気がする」、「最初の年はどうなるんだってみんなで泣いて暮らしてた。その次の年にも好転はしなかった。だから最近みんなで『決めた』の、もう泣かないって」。
『決めた』…ということは本当はもちろん、意志でコントロールしようとしなければ、思い切り泣きたいと思っておられるのだろうと、香港で安穏と暮らしている自分が動揺してはいけないと思いつつ、胸が苦しくなってしまいました。

そして「『ふるさと』って歌があるよね。あれもう歌えない。本当に都路はあの歌みたいなきれいなきれいなところだったんだよ。もう無いと思うと泣けてしまうから、もう歌わない」と言われて、思わず涙が(被災もしていない私が泣いてはいけないのに)。

『ふるさと』https://www.youtube.com/watch?v=PiUJV3qz5oU
川内村やその近辺も、行って見れば、放射性物質の味やにおいもせず頭痛などもせず、本当にこの動画にあるような「美しい日本の里山」「日本人のふるさと像」という風景でした(東北に行ったこと自体初めてだったのですが、山の深さと広大さのようなものが、京滋とはまた違いますね)。そこで代々生まれ育った方たちにしてみれば、本当に大切なふるさとそのものです。

『家路』http://www.bitters.co.jp/ieji/
何回も見てしまった(最後はストーリー的によく分かりませんでしたが)、震災後の福島が舞台の、農業をテーマにした映画です。都路の方々の顔が浮かんで、こういう作品があることは本当に大事だと思いました(「自分には今は関係ない」と忘れることは簡単だから)。

被災された方々がほんの少しずつでも癒されていっておられることを心からお祈りしています。

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