kyoto police
Kyoto Police poster – “I am becoming a Kyoto cop” in Kyoto dialect, and, “I think I would believe what I had enclosed in myself then”, what a poetic copy!
「ぼく、京都のおまわりさんになるねん」、そっかーなるねんや~おきばりよし、と声をかけたくなるポスターを嵐電天神川駅で見ました。それより、「あのとき、とじこめた気持ちをもういちど信じてみようと思う」って!なんと深い…。
どうなんだろう、警察官に応募する人のうちどれくらいが「小さい頃からの夢」だったんだろう。他の職業よりはその率が高い気もするし、電車の運転士さんよりは低いような気もする。
どこかで、「高校生の頃の夢をかなえた人は幸せ」みたいなことを読んだことがあります。それより前はTVや友達の影響も大きくころころ変わるし、それより後は色んな現実的な打算が入ってくるからだとか。
私は中高時代はずっと建築士になりたかったけれど、その夢は叶えていない。今でもちょこちょこ間取りを考えたりするのは好きで、自宅の町屋の修復図面も自分で引き、作り付け家具も設計してみました。でも、明らかにプロの建築士ではなくて、工務店の人に「上手ですね」と言われてしまうレベルです(趣味レベルだから「上手」と言われるのであって…)。
でも一応建築士を目指してトレーニングをして、その過程で「これは私は無理だ」と痛切してから諦めた夢なので、「トライしておけば成功したかもしれないのに」と思うこともなく、その点ですっきりはしています(学費を払って貰った親には申し訳ないけれど)。
建築学生時代の思い出は、どれだけ計画して真面目に毎日頑張っても、なぜか徹夜が避けられず、第一歩でつまづくと先に進めない理工系でありながら、積み上げて来たものが一瞬で無にされるエスキス講評会、湧いてこないアイデア、等々…実際建築士になっている友人知人も皆、国や大学問わず「大学時代は大変だった」というのですが、彼らは本当に「好き」だから徹夜も厭わないのでしょう。
その後私は文転してしまいましたが、(人文系には人文系的な大変なこともあるけれど)「建築に比べてこれは楽だ」と思ったのが「計画的に取り掛かれば、徹夜は避けられる」、「たとえダメ出しをされても、そこまで書いたWordが全く無になるわけではなく、一部は必ず次に生かせる」ということと、理工系に比べて「初めて読む分野の本でも日本語で書いてある限り40%は分かる」「3-4章くらいから読んでも30%は分かる」ことでした。
といって、その人文系も極めることなく脱線して今ここに居ますが、絵は、老眼以外で「今後も続けられるんだろうか」と考えることもなく(テストや資格やキャリア競争が無い/あいまいなせいもありますが)、こつこつ日々描いていこうと思います