marathon
I went to see Kyoto marathon yesterday; amazing runners and cheer dance groups. Then went to listen to handbell choir concert; amazing secondary school students! Though I myself haven’t made any effort for running or music, felt good on a chilly Sunday. Maybe because I don’t run marathon or play music at all now, and so I don’t need “I should have” feel!
香港在住の知人が参加していたので、初めて京都マラソンの応援をしました。風がとても寒い日、(ありきたりの感想ですが→)うーん感動!
「沿道盛り上げ隊スポット」のような箇所のひとつに居たので、地元の大学の着物ダンスサークルやチアサークルなどの発表も楽しませてもらいました。チアリーダーの皆さんがかわいくて運動能力もすごくて、大ジャンプの時など、もはやマラソンランナーを見ている人はほとんど居なかったかも(一眼レフカメラ男性達なんて、ほんと)。
午後は京都聖母学院中学・高校のハンドベル・クワイアのチャリティコンサートに行きました(聞きに来ているのは、クラブ員のご家族やOGがほとんどかなと思うのですが、昨年末聖母学院のクリスマスカードのイラストをさせて頂いたので勝手に一人関係者気取りです…)。
ここでも、なんだかいろんな方面で感動して、最後の復興支援ソング「花は咲く」では目頭が熱くなりました。
コンサートホールを出た夕暮れ時には、「実は自分は何もしておらず、『たゆまぬ努力を続けた人たちを見ただけ』の一日」なのに、なんだかとても清々しい充実感(?)がありました(毎日何かしらの愚痴を言っている私には珍しいことです)。
やっぱり年を取ると人間丸くなる部分もあるのか、などとも思って見ましたが、ちょっと考えると…「フルマラソン」・「チアリーディング」・「ハンドベル」、このどれもが、「自分には出来ない偉業」であることはもちろん、「自分でやろうと思ったこともないアクティビティ」だから、素直にすごいすごいと観賞して、よかったよかったと感動するだけで終われるのかもと思います。ついでに、「私も自分のするべきことを頑張ろう」感まで貰えたりもします。
これが少しでも自分がやってみたい・やってみたかったりしたこと、やってみて極められなかったり挫折したことだったり、今も細々としているけれど芽が出ないことだったら、こうも清々しい気持ちにはならなかったと思います(本当に小さい人間です!)。
例えば、京都の観光名所で特に桜のシーズンなどにスケッチをしている人を見ると、「あんなにゆったりと、羨ましい」「私だって描きたい」「もっと時間があったら」と、焦燥感やら嫉妬心やらがくすぶり始めます。
描いているのが自然の風景や人物だったらまた「でもま、私は描けないから。あまり描きたいとも思わないし」と溜飲を下げてみるものの、古い建物をさらさらと描いている人がいたら!「ダメだ、私は今何をしてるんだッ」と思ってしまう。
他人の頑張っている姿から、ピュアな元気を貰うためには、(私の場合)「自分とは無関係な分野で努力している人」限定かなと思った日曜日でした。関連して、大学時代、ストゥディオ(日本の建築学科でいうと「エスキス」?)の先生が「建築家として自信がつくまでは、建築雑誌だけは見てはいけないよ!」(他人の作品に影響されたり、自己否定感で自分のクリエイティビティが制限されるから)と言っていたのを思い出しました。