Osaka modern buildings
Went to Osaka last month, in the middle of the rainy and hot season.
When I was younger, Kyoto was the only “city” to enjoy urban life, and I thought Kyoto has enough architectural charms so that I don’t need to visit other cities. I still do think Kyoto is attractive, but when it comes to the modern (Meiji and Taisho period) buidings in larger scale, I start to love Osaka and Kobe quite a lot (this photo is Dai-biru / Dai Building in Nakanoshima, rebuilt in 2013, after the original one built in 1925).
先月上旬、前職の先輩のご友人(で勝手に私もお友達だと思っている方)が京都に来られていたので、お茶しました。一年に一度くらいしか会わない方なのに、偶然色々ハプニングがあったさなかだったので、申し訳ないですが一方的に身の上相談をした形になりました。
いくつかアドバイスのようなものを頂いて、「なるほど…これは人に言って貰わないと自分では見ないふりし続けるだろうな」というのが以下の二点。
(1)再就職(外で勤め)というのなら、前職をほうふつとさせる所には、行きたくなっても行ってはだめ(選ぶ立場にはないのですが)。履歴が生かせないようなところから再スタートしないと。
(2)もっと突き抜けた方が色々うまくいくと思う。例えば、服装。あなたは「いつもユニ〇ロで」とか笑いを取るために言ってるのかどうか分からないけれど、もうそんなこと言わなくていい。「面接だから、参観日だからこういう服を着ないと」などと思うな。あなたはどちらかと言えば「変人」の類だと思うが。
特に(2)に関して、結構「がつん」と来ました。
TPOを考えられるのが大人で、自分もこぎれいにしていると気分良いし、一人だけ浮いて恥ずかしく居心地の悪い思いをするくらいならある程度は周囲に合わせた方が「精神的に良い」と思っています。
でも実際は(そうは思っているものの)、よほど特別なイベントでもないかぎり、年中同じような服を着ています。
色は紺またはカーキ、靴も黒か紺、たまにデニムシャツとジーンズを投入。似通ったシャツやパンツを2枚ずつ持っていて、「制服」のようです。しかも私の服すべて(コートやマフラーや水着なども)を合わせて、押し入れ半畳に収まります。
と言うと、少し前に流行ったミニマリストとか「スティーブ・ジョブスがいつも同じ服を(何着も買って)着ていたのはポリシーあってのこと。仕事そのものと関係ない『無駄な』取捨選択・決定に時間とエネルギーを使わないため」といったエピソードが浮かびますが、違います。「山口さんはそういうのでも(それですらも)ないよね」と言われました。本当にそう(そんな高尚なことは考えていない)。
全ての服が半畳に収まることに誇りを持っているわけでもなく、林真理子先生の「服が多すぎてチョモランマ・クローゼットで…でもまた青山ジルSで…」という年に何回か出てくるエピソードも大好きで、女性雑誌(紙媒介)もイナトモも大好き、ショーウィンドウのマネキンコーデを見るのも割と好きで、うーん、なんなのか。
とにかく今は、中途半端に、「--だから、こういう服を着ないと」「こんな毎日ダサい自分はどうなのか」などと思っている時点で(服に限らず)「本来変人カテゴリーの人間が、あるべく姿に突き抜けてないから、服以外の色々な考えもまとまらない状態」ではというアドバイス。
(人文社会系の研究上、多数の人にインタビューをされて来た方だけあるなぁとも思いました。私も昔、聞き取り調査というのを一応したことはありますが、「この古い家は何年に誰が建てましたか。どんなおじい様でしたか」といった感じで、関心事は実は「建物の過去」次いで「まぁおじいさんも…」程度でした。そのインタビュウィー自身の現在を「この人はこういう人かな。だからこれはこうなのかも」と見たことはないかもしれません。)
なんだか「そうかもしれない!」と喚起されました。もう少し自信を持って(?)自分の「制服」をどんな場所にも着続けようかと思います。