left handed
prayer for the victims of Kyushu heavy rain and flooding…too many natural disasters recently. as my relatives are in Nagasaki (Kyushu) I cannot help checking the weather news.
(Biwako-sosui/lake biwa canal Kujo-yama water purification plant pomp facility 九条山浄水場ポンプ室, Hino-oka, Kyoto, designed by Tokuma Katayama 片山東熊 and Naosaburo Yamamoto 山本直三郎, 1912.)
a smart sommelier serving…red grape juice at a table with my friend’s family
この前お正月だと思っていたのに、もう夏休み。今夏は友人知人が京都に会いに来てくれる機会が多く(といっても本人または配偶者の関西出張・里帰り・祇園祭などメインの目的が別にあるのですが)嬉しいです。
そんな夏休み第一弾は香港での苦楽を共にした(させた?)元同業者で私の北京語の先生だったJちゃん家族との食事。
このソムリエさんメモを取る時などは左ききだったのに、注ぐときは右(片手)でボトルを持っておられました。Tちゃん曰く「右からじゃないと注ぎにくいじゃない」と言われて、確かにグラスは普通お皿の右手にあるのでそうしないとお客さんの目の前に腕が来るなぁと気づきました。
(日ごろ外食するとしたら「テーブルの空いているところ、なんとなく便利そうなところ」に水を置いてくれるようなチェーン系のお店しか行かない庶民なので、人に言われなければ「両利きの人なのかも」と片付けていた気がします。)
私は生まれつき左利きなのですが、昔は左利き用のハサミなども無いし、小学校に入って「えんぴつの持ち方」などのお手本を皆で真似る際にも「皆、右利き」という前提なので、頑張って(半分泣きながら)右利きになるトレーニングをしました。
多分昔は、「字を書くのはどうせ小学校から」だったので、一度左利きで字を書き始めてから「なおす」より簡単、と思われていたのかもしれません。が、実際は、利き手というのは字を書くだけの問題ではないので、小学校低学年時代の私の混乱といったらなく、簡単なひらがなまで鏡文字を書いたりしていました。
何となく右手で色々出来るようになった、もう左利きだったことも忘れそう、という小学校高学年の時に「家庭科」が始まり、新しい道具を使い始める度にまた混乱し、その中でもどう頑張っても難しかったのが「包丁」と「ミシン」。
「リンゴやジャガイモの皮をむく」テストのために、流血しながら右手で包丁を持つ訓練をしたため(左手に包丁を持って皮をむく練習をしたことがないこともあり)、今では「右手で皮をむく→包丁を左右持ち替える→左手で切る(力が入るから)」という無駄な動きを繰り返しています。
私が絵を描く姿を見て、たまに「両利きなんですね!」と言って下さる方がおられるのですが、一見そう見えるだけで「定規シャーペンは右、曲線のこういうのは左、これは右…」という細かい分業(?)制度に沿って忙しく左右ペンを持ち替えているだけだったりします。
(「人生に無駄なことなんて一つもない」論もあるとは言え、うーんやっぱり左利きはずっと左利きのままで生きた方が(私は)良い気がします)。
このソムリエさん(生まれつき両利きでなければ)色々努力されたんでしょうね!