kata/rules
Rokkaku-do 紫雲山頂法寺六角堂; went to Kado/Ikebana flower arrangement lesson, near Rokkaku-do.
生け花の体験教室に行って来ました。今ちょうど高島屋の前にも数名の華道の先生の競作のような展示がありました。映画『花戦さ』の影響(?)なのか、毎年この時期にやっておられることなのか、分かりませんが、人並み程度にしかお花に興味のない私が「そんなにいいものなのか」と興味を持ったきっかけは、
嵐→ブルゾンかずなり→ブルゾンちえみ→「お金はなくても花を買う」
に「へえ!」と感動したからです。
というのは置いておいて、華道もまた、「型」があり(まずはそれを学んで)それから次のステップへ進むわけですが、「なんでも自由!とにかく自分を出して!」と言われるより、ほとんどの人には「(昔からあるもはや絶対的な)ルール」をまず習う(そこから深めたり広げたり反発したりして「自分」)というのは、楽だと思いました。
小6から中1にかけて、米東海岸のローカル校(しかもESL=移民クラス)に通っていたのですが、学級崩壊に近かった上に、最初から「個性を大事に!自分の意思!自由!」な教育(?)をされると、全体の9割以上は「何も学ばない、学ぶ楽しさも感じない」まま日々を過ごしていっているような気がしていました(そして体育の更衣室に注射針が落ちていたりという展開)。
多分、大人による「環境づくり」とか「褒めて伸ばす」「働きかけ」がなくてもいいような天才児秀才児には、管理教育よりもこういった「自由!」式がいいのだと思いますが、そんな人はあまりいないのではないか(つまり「型」を教わることも無く「自分で自由に」式なんだったら、別に学校・教室に来なくていいのでは)という気がします。
中高生・成人に少し絵を教えていた時に思ったのは、(私の世代の?)小学校の図工は本当に難しかったなということです。例えば、絵本の話を聞いて、「さあ、お話に関して自由に絵を描きましょう」と言われることが、小さいころには結構多かった気がします。あれが(私には?)本当に困りものでした。
「自由にしていい」とはいえ「別に今絵を描きたくないから、描かない」というのは許されないので、実は何でも自分の思い通りにしていい「自由」ではないし、好きなお話でもないのに「描け」というのならもう一歩手ほどきして(せめて、どこから何をどう、と少しでも技法を教えて、やる気を出すきかっけを)くれないと、と今は思います。
当時は言葉に出来ず、もやもやしながら「図工…メンドクサイ」と思っていました(今絵を描いているので、きっと小中高、図工や美術が得意だったんでしょう、と言って下さることもたまにありますが、全くそんなことはありません!)。
単に、「型」のある習い事っていいなと思う年齢になったのでしょうか。
それにしても毎日とっても暑い!
低血圧体質なので、夏は色々気を付けているのですが、やむを得ず朝からずっと屋外、次の日も…となると星が浮かんで来てしまいます(去年は地蔵盆の準備の夜、眠れないほどの頭痛と吐き気がしたのですが、ご近所の同じ組の方ほとんど同じだったそうなので、「一同で熱中症」だったのかも。よく聞くことですが、一昔前よりも格段に夏の暑さが厳しくなっていますよね)。
今朝も「これはやばい」と思い無理しないことに(といっても一日家でゆっくりしているわけにも行かず、午後は結局外に行ったのですが)。何しろ20代30代の夏よりも今の方が苦手な屋外活動続きで、早く夏が終わらないかなぁと思っています。
では、熱中症対策のため今日こそ早く寝ます!