from Sanjo Cathedral
From left – (Nao Cafe,) Bunkyu bar, Obase restaurant, Hanamasa flower shop, and Il Lampo restaurant – Kawaramachi Sanjo, Kyoto. View from the Catholic Cathedral where I sometimes go to pray
(直珈琲、)文久、Obase、花政、Il Lampo(河原町三条/中京区恵比寿町)
たまにお祈りに行く、カトリック河原町教会からの眺めです。
子供の頃、大津市の長等学区(京阪沿線)に住んでいたので、親に(京阪で行ける)三条に連れて来て貰いました。当時は土曜日も学校があったので、日曜の朝、この教会のミサにあずかったりあずからなかったりした後、タイル張りの昭和な建物だった河原町通の「ハマムラ」でご飯を食べたり、河原町三条南東の「文明堂」のアップルパイか南西の「不二家」で洋食…というコース。朝日会館という小さな映画館で「マイフェアレディ」とか「ミッション」とか舶来ものの映画を見た記憶もあります。
この京都教区司教座に関しての一番の思い出は、大津教会の日曜学校のみんなで、大塚喜直神父様(現京都教区司教)の叙階式に参列した日。今検索したら、1984年3月20日とありましたので、私が8歳の頃です。
今も昔も、日本人の信者の中から司祭になる人が出るのは稀有なこと(なので、欧米、アフリカ、韓国、フィリピン籍の神父様が多いわけです)。式のかなり前から(信者間の内輪では)大ニュースでした。
もう十分、色々感じることが出来た年齢だったのに、後ろの方に座っていた叙階式の間中の事はあまり覚えておらず、でも今なおはっきりと覚えているのは、「河原町三条にあったマクドナルドでみんなで昼ご飯を食べたこと」です。
教会の子ども皆でご飯を食べると言ったら、毎春「安土セミナリヨ」ミサの前に安土城址でお弁当を食べるか、唐崎メリノール・ハウスの夏期練成会くらいで、「アウトドアで手作りの食べ物」だったので、「日曜学校から都会のファストフードへ」という「ハレ」感に心が躍りました。あまりにわらわらと、バラバラに座ったので、「食前の祈り」なども割愛されていたはず。
それに、マクドナルドは「悪いもの」のはずなのに、教会の人たちは根暗な私にも優しく「良い人」で、でもみんなで身体に悪いらしいマクドナルド…と、とにかく混乱しながら、窓に面したカウンター席で「いい天気だな」「美味しいな」と思いました。
京都は(香港や、きっと東京に比べると)あまり変化のない場所と言われますが、あのハマムラも文明堂も不二家も朝日会館も、そしてあのマクドナルドももうありません。教会の横にあったティールーム「エリゼ」も、木屋町「みゅーず」も「夜の窓」も。
こう改めて書き出すと少し(いやかなり)寂しくもなりますが、もし新しいお店が全く出られないほど「硬直」していたら、きっと商店街のシャッター化もセットだったろうし、変化出来ると言うのは活力がある証かと思います。
とにもかくにも、石坂線ー京津線で育った私にとって、「都会=京都・河原町三条」なのは今も変わりありません!