kyoto station trains
now drawing kyoto station – series 221, momotaro, thunderbird, and haruka
京都駅を描いています(「京都駅を」というより京都駅の「電車を」描いています、というべきかな)。
文字にしてしまうと「そのまま」なんですが、ペン入れは、
「手前の電車(前から後ろ)→奥の電車(前から後ろ)」→
「手前の電車のパンタグラフ(前から後ろ)→奥の電車のパンタグラフ(前から後ろ)」→
「手前の線路の上の電線→奥の線路の上の電線」→
「前の鉄柱(っていうのかな、電線をつりさげている架)→奥の鉄柱」→
「手前の線路→奥の線路」にするといいんだなと、手を動かしながら分かったときの何とも言えない爽快感!前、梅田駅を描いた時にはもやもやしていてパンタグラフに電線を乗せるのに悪銭苦闘してました。
こういう時、人に習ったり本を読んだりするより遠回りだけれど、すごく些細で当たり前でみんな知ってることでも、やっぱり「自分でやってみて、続けているうちに、ハッと分かった」というのは格別に嬉しいものだなと思います。人・時によって、何に関してそう思うか違うと思うのですが。
10年くらい前は、お菓子・パン・発酵食品作りの日々で「おおっ」と思っていました。食べるものの探求というのは(絵とか、衣食住に直接関係ない芸術より)「生活に役立っている…(?)んだから」という言い訳もあり、他人にも堂々と言える、なかなかいい趣味だったと思います。
それにしても暑い…低血圧なので夏はちょっとしたことで(ぱっと立ち上がったり、頭をあげたり、炎天下に5分いたりすると)目の前に星が飛び頭がキーンと割れそうになります(その後もし復活しなかったら、その先には「お花畑」が待っていて、はたからみると廃人なのですが、実はそこまでいくと逆に頭痛もせず何も考えられず現生解脱みたいな感じで、ちょっと気持ち良かったり…一度香港で急に厚くなった日、血圧が「78-48」という値でクリニックにも行ったのですが、その時は「このお花畑は…臨死体験?向こうに見えるのは三途の…?」みたいな世界でした←遠藤周作を読んでた時期で影響されてただけかもしれません)。
外で部活をしている中高生などを見ると感嘆の一言に尽きます。私は中学で水泳部だったので、真っ黒に日焼けはするものの「運動して、暑い!」と水中では思うこともなく、大人になるまで低血圧に気づきませんでした。普通の運動部だったら何度も失神してたんじゃないかと思います。低血圧とは長年の付き合いなので、色々予防策と事後対策を習得しつつあるものの、高血圧の人が毎日飲むような薬もなく(何かの副作用で血圧が上がることはあっても)、早く涼しくならないかなと思います。